固定観念という物差しは断捨離せよ
こないだツイッターで荒みました👹
↓こんな感じです。
つくづく自分は情報に弱いと思った。情報のうずにおぼれた。何がわたしはしたかったんだっけ?
— おなつ@部屋片付け中🧹 (@oonntt000) 2020年4月10日
仕事服選んでたけどすごい時間かかる。何が自分にいいのかわからない。どうこの服を活かしたらいいのかわからない。「あの記事ではこれが良いよと書いてあったけど、なんか自分に合わせると野暮ったい」良いと言われてるものが良いと思えない。なんだこれ。
— おなつ@部屋片付け中🧹 (@oonntt000) 2020年4月10日
へい!!好きなのを選べよ自分!!!わたしはVネックのストライプシャツよりも小花がちらほら散ってる丸襟ブラウスのほうが好きなんだーー!!!!!!!!└(:3」┌)┘))
— おなつ@部屋片付け中🧹 (@oonntt000) 2020年4月10日
固定観念にバキバキに縛られる自分なんとかしたい( ¯□¯)おんん
— おなつ@部屋片付け中🧹 (@oonntt000) 2020年4月10日
ミニマリズムの服装スタイルと骨格診断の結果と自分のもともとの好みの間でゆれる·····
— おなつ@部屋片付け中🧹 (@oonntt000) 2020年4月10日
いーじゃん!好きなの着れよ!こうしないとマイナスに見える、じゃなくて!本質的に磨いてかないといけないのは見た目じゃのうて心じゃい!(っ'-')╮ =͟͟͞͞♡
こうでないといけない ってわたしを封印する呪文だ。
— おなつ@部屋片付け中🧹 (@oonntt000) 2020年4月10日
そうです、観念にやられて荒みました👹
「こうあるべき」「こうでないといけない」という鉄の鎖に縛られて
なんか昔からそういう観念的なことにがんじがらめになります。
例えば「大人はこうあるべき」とか「上司はこうあるべき」みたいな。。
自分の中に、自分の経験で得た「正しい」という物差しがあって、そこに収まらなかったりずれたりすると「そんなんじゃダメだ!!」ってなります。
片付けや断捨離においても、
「あのミニマリストの方はこうしてるからこうしないと」とか、
「所有物は少なく、シンプルなデザインのものを。。そうじゃないと正しくない」などなど
今回に至っては服装について、自分に似合うものは何なのか、色んな情報を得てしまい、無意識に「こうあるべきなんだ」という物差しを作ってしまっていました。
その「こうあるべき」という理想と、そうならない現実とのギャップによって荒んだというわけです。
こうしてストレスは発生するのだ👹
これがひどくなると、周りの意見か行動が許せなくなります。
「これはすべきなのに何故できないのか??」
「こんなのもできないなんてダメな人間」
もっとひどいと、それがじぶんに向かい、自己嫌悪や卑屈に陥ります。そりゃもうひどい。
こわやこわや👹
脱★観念!ぬけだすために実践した例
「こうあるべき」の魔の呪文から解放されるためには、おなつ的には2つありました。
①反対の呪文「そういう考えもあるよね〜(σ・∀・)σ」をぶつける。
提供された情報を「これだけが正解なんだ」と思わずに「選択肢の一つとして受け入れる」ための方法です。
心の中のはるな愛(σ・∀・)σを召喚させます(「いうよね〜」と言い方かぶらせただけですが·····)
たとえば
*部屋の片付けをするなら〇〇のグッズがおすすめです!
→ほうほう、そういう考えもあるよね〜(σ・∀・)σ
*〇〇な体型の人は、こういうファッションだとベストです!
→ほうほう、そういう見方もあるよね〜(σ・∀・)σ
こうすると、客観的な視点で物を見られるというか、
それに対してあまりガチガチに縛られない。
柔軟性のある脳みそになって他の人の価値観も受け入れられるようになります。
あなたの考えもいいよね〜★
そして自分のことも許せるようになり、自己嫌悪や卑屈からも卒業できる。
②本来の目標や目的を忘れない。
今回荒んだ原因のもうひとつとして、自分がなぜ片付けや断捨離、買い物を行っているのかがわからなくなったこともありますです。
本来の目的としては「部屋を有効的に使えるように、最低限は物の管理ができるようになること」でした。
ですが徐々に、「ミニマリストっぽいことしなければならない」とか「自分はこういうタイプだからそれに従わないと周りから異端に思われる」とか勝手な観念ができあがり、
それによって行動目的がズレてしまい、
「わたしはなにがしたいんじゃー!」と迷える鬼ちゃん👹になってしまいました。
何においてもそうですが、
きちんと自分のゴールを忘れないようにして、ゴールまでの道のりを地図で確認し、外さないように進んでいきたいと思います。